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最高裁判所第三小法廷 平成10年(行ツ)248号 判決

上告人

協同組合 秋田第一製パン

右代表者清算人

高島長助

右訴訟代理人弁護士

渡辺春己

山田勝彦

新井章

被上告人

秋田南税務署長 湯本美昭

右指定代理人

石井克典

右当事者間の仙台高等裁判所秋田支部平成五年(行コ)第三号法人税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成一〇年六月二九日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人渡辺春己の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、本件再更正処分(本件裁決により減額された後のもの)等を適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないで原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道)

(平成一〇年(行ツ)第二四八号 上告人 協同組合秋田第一製パン)

上告代理人渡辺春己の上告理由

第一、原判決の要旨

原判決は一審判決と同様に

「1 昭和三九年当時、秋田市内の中小製パン業者の間では、学校給食を中心としてパン類の需要が増大するものと見込まれる状況にあり、他方、同業者らの間では競業による共倒れを防ぐため、生産施設及び技術の近代化、合理化並びにそれに伴う資金調達の必要性があった。また秋田県においても、地元業者らの近代化、合理化を推進する指導を行っていた。

こうした事情のもとで、同市内の製パン業者八名が、中小企業等協同組合法に基づき昭和三九年四月六日、原告を設立した(なお、組合員数は、その後三名が脱退し、一名が加入した結果、解散当時の組合員は六名であった。)。

設立の当時、同法に基づく協同組合の組合員資格は事業者であることを要するものと判断されたことから、原告の目的はパン類の共同生産と共同加工とし、その販売は各組合員が事業者として行うこととされた。

2 原告は、各組合員から出資を受けたほか、生産設備については組合員のうちから現物出資を受け、更に、原告自身において工場敷地として秋田市内に土地(秋田市蛭根八五番二ほか一一筆の土地)を購入して工場(秋田市蛭根八五番地一所在)を建設し(以下、これらの土地建物を「工場敷地建物」という。)昭和四〇年四月から操業を開始した。

3 当時、原告が生産したパン類の販売は各組合員に委ねられていたので、販路が競合するなど販売方法が非効率的であると感じられたことから、販売の方法を合理化するために、昭和四〇年七月二三日、原告の生産するパン類を販売することを目的とする営利企業として販売会社が設立された。

販売会社の設立当時その株主及び取締役には原告の組合員の子弟等がなったが、これは主として、原告組合員らの事業の継承を考慮したためであった。

(中略)

その際、右井口らは原告の組合員全員に対し白紙委任状の提出を求め、原告の理事浅利金十郎、同高島長助、同加賀谷憲男、同佐藤太市、原告の監事である吉田昭治が、それぞれ白紙委任状を作成して井口に交付した。

そのうえで、翌八月一九日の販売会社株主総会において、右井口興一、加藤高雄、中野外喜雄、橋田理臣が販売会社の取締役に就任し(代表取締役社長には井口興一が、同副社長には中野外喜雄が就任した。)、今後の経営方針として、以後、パン類の生産及び販売を販売会社が行うこととし、これに伴い、生産、販売する品目の構成を改善すること、生産式術の向上、販売設備の改善などの方針に基づいて経営を進めること、原告は、販売会社に対してその所有する工場を賃貸することに事業を限定することなどが決定された。」

(中略)

7 ところが、その後、一方で、販売会社が生産に使用していた工場機材類が老朽化していたことから、新規購入するための設備投資の費用がかさみ、他方では、学校給食を中心とするパン類の需要そのものが減退したことなどの事情から、昭和五三年ころ以降、販売会社の経営は再び悪化するようになった。

そして、原告及び販売会社においては、再度、前記金沢製粉株式会社には営業上の支援を求め、秋田市内の同業者である株式会社たけや製パンには資金繰りの支援や営業譲渡を申し入れるなどの方策を講じたが、これを拒絶されたため、昭和五五年一月二四日、販売会社の株主総会において販売会社の解散の方針が了承され、販売会社は同月末日ころ営業活動を停止した。

8 同月二八日、原告の債権者に対する説明が行われ、その中で販売会社の負債については、原告の資産を売却することにより弁済するとの説明がなされた。また、他方、昭和五五年二月七日、原告の理事会においても、販売会社の債務の整理については原告の工場敷地建物及びその後に購入した土地等の資産を処分してその弁済に充てることが決定された。

右の方針に基づいて、販売会社はその所有する機械類などの動産を売却処分してその債務の弁済を行う一方、原告は、右記載のとおり工場敷地建物その他の不動産を売却処分し、その資金により昭和五五年四月一〇日及び一一日、別表一の二記載の各債務の弁済を行った。」こと

「原告と販売会社の間では、そもそも販売会社が設立された目的自体原告が生産した製品を市場に販売することであったこと、販売会社の株主ないし役員は、営業の再建のため一時的に取引先の役員を販売会社の役員とした時期を除けば、原告の理事又はその子弟により構成されており、こうした構成になったのは、原告の理事らにおいて各自が行っていた事業の承諾を考慮した結果であり、事実上、販売会社の役員構成は原告の理事と一体と考えることができること、販売会社の工場は原告から賃借したものであることなど、両者間に人的ないしは物的な構成の面で密接な関係を有することを認めることができる。」こと、

「(1)昭和五四年一二月当時、販売会社は経営不振に陥り、金融機関等に対する負債に苦慮していた。

(2)こうした状況の中で、昭和五四年一二月二〇日に開催された販売会社の取締役会において、別表一記載の各債務を販売会社の債務について連帯保証人となった取締役の一人である吉田昭治から、万が一のときはどうなるのかとの趣旨の質問がなされ、これに対して原告理事長である浅利金十郎は、最初からの約束どおり原告が全責任を負うこと、形式的に保証をした者には迷惑をかけない旨を表明して出席者の了解を得た。

(3)その後、前記二で認定したとおり、原告及び販売会社の各解散がそれぞれ決議され、それに伴う販売会社の債務の整理の方針が検討され、昭和五五年一一月七日に開催された原告理事会において、工事敷地を売却してその弁済に充てることを前提として、具体的売却方法、相手方等が協議された。」こと

を認めながら、他方

「右認定事実によれば、昭和五四年一二月二〇日以降の時点で、原告と販売会社及び原告以外の連帯保証人との間で、原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担するとの内容の合意がなされたと認めることはできるが、右昭和五四年一二月二〇日の取締役会における浅利金十郎の発言の内容は金融機関に対する連帯保証責任が現実化していた時期に当面の債務の整理の方針について触れる形でなされていたこと、また、前記三において認定したとおり、各債務について連帯保証人となっていたものはそれぞれが各債権者に対して保証責任を負担していたことなどの事情に照らせば、右合意は、清算を間近に控え原告以外の連帯保証人には個人として迷惑をかけないという程度のもので、これをもって、当初より存在していた原告の最終的ないし全面的な責任が再確認されたとする原告の主張も採用できない。

(四)以上によれば、原告と販売会社の間で前記のような確認ないし特約が存在するものとする原告の主張には理由がない。」

との一審判決の判断を踏襲したうえ、

「当審における証拠調べの結果によっても、右認定判断は左右されないと言うべきものである。」とした。

更に法的評価の点についても原判決は、第二弁済行為及び本件不請求にかかる金額についていずれも販売会社と上告人とは別法人であり、何らの対価がないことを理由に寄付金であるとし、法九五条についても両者は別法人であること「親子会社のように資本提携があったわけでもない」ことなどを理由に経費性を否定し、また通達九―四―一についても、右の負担をしなければ今後より大きな損失を蒙るなどの事情も認められないとして上告人の主張を全て否定したのである。

しかし、原判決は事実の認定の上でも判例や経験則に反し、かつ、憲法及び法律の解釈を誤ったものであり、これらの誤りはいずれも原判決の結論に影響を及ぼすものであって破棄を免れない。

第二、原判決は憲法一四条に違反している

一、原判決は法人税法の所得計算規定に関する認識・理解について重大かつ明白な誤りを犯しており、そのため上告人に限って親子関係にある法人間の税務扱いを拒否し、差別的取扱いを行っている。こうした取扱いは憲法一四条に反している。

二、原判決は「控訴人と販売会社は法律上別人格であり、しかも、親子会社のように資本提携があったわけでもないからそれぞれの法人の残余財産の清算は、それぞれの資産の範囲内で適正に行われるべき」であるとし、基本通達九―四―一に関連して「控訴人が右の負担をしなければ今後より大きな損失を蒙るなどの事情も認められない本件が、右通達の予定する場合に該当しないことは明らかである」としている。

しかし、これらの判断は上告人と販売会社との関係及び法人税法の所得計算について明らかに誤っている。

三、親子会社のような資本提携がなくても、販売会社の設立の経緯、業務内容、資産関係、人的関係などからいって、上告人と販売会社との間で「親子関係」が認められるべきことは税務の常識であるが、本件についても親子関係の税務の取扱いが当然に行われるべきであるが、原判決はこれに反している。

1(一)確かに上告人は販売会社に対し、五〇%以上の資本を有しているわけではない。しかし販売会社は、上告人の経営の必要から設立され、その資本も大半は上告人や上告人の組合員及びその子弟によってまかなわれている(甲第八号証の一、二)。

(二)また販売会社にはパン類の製造、販売に必要な何らの資産もない。販売会社は、工場設備を全て上告人から賃貸しており、両法人において資産といえば上告人所有の工場の土地・建物以外にめぼしい資産がなく、常に上告人が販売会社の債務や損失の負担を行わなければ販売会社の営業も成り立ち得なかった。

(三)仮に上告人が販売会社の債務や損失を負担しなければ販売会社が取引を行うことは不可能であり、上告人の唯一の収入源もたたれる。

子会社的存在の販売会社は常に経営の危機にあり、親会社的存在の上告人が販売会社の債務や損失を負担しなければ、上告人自身が解散に追い込まれるという危機状況にあった。

それ故昭和五四年一二月、販売会社の経営が困難となった際に、当然のこととして上告人が販売会社の債務について「全責任を負うこと」が組合員全員一致によって再確認されているのである(甲第一〇号証の四三)。

(四)また、上告人を行政指導した秋田県中央会の担当者や販売会社の債権者らも上告人が全責任を負うべきものであることは一致して認めており(藤田・橋田・加藤証言)、仮に上告人がその責任を回避しようとすれば、債権者は上告人の資産を処分するなどの法的手段をとっていた。

(五)原判決も販売会社は上告人の活動を効率的に行うために設立されたこと、販売会社の株主及び取締役は上告人の組合員やその子弟等がなったこと、販売会社と上告人との間は人的ないし物的な構成の面で密接な関係があったこと、昭和五四年一二月二〇日に上告人が全責任を負うことは全組合員を含む者の了解を得ていたこと、販売会社の債務の整理については上告人の工場敷地・建物等の資産を処分して弁済に充てることが上告人の理事会で決定されたことなどを認めているのである。

2 一般に損金については「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に従って計算されるべきものであり(法二二条三項、四項)、損金(経費)か否かはいわゆる企業会計原則によって処理されるべきものであるが、いかなるものが必要経費か否かは、当該企業の目的・性格等によって異なってくる。

仮に右企業会計上の原則に従った場合、課税上不都合な点があれば、法人税法において「別段の定め」(法人税法二二条三項)を規定することにより調整を図っているのである。

ところが清算課税における経費に関しては特段の定めがないのであるから、企業会計原則に従って、当該出損金が企業経営上相当性を有している場合には経費性が認められることになる。

3(一)このことは法人税法九五条の解釈の一場面である基本通達九―四―一について、上告人は、はやい段階で甲一三九号証の二で国税庁担当官自身が「取引関係、人間関係、資金関係等において密接な関係を有する法人」を広く「子会社等」に含めることを明らかにしていた。さらに、右通達は、平成一〇年六月一日段階で別紙資料一、二のとおりその趣旨を明確化され、

〈1〉整理する子会社について「子会社」に関する範囲を、系列関係にある子会社だけでなく、取引先企業や役員らを派遣している企業など幅広くとらえている。

〈2〉また、損金算入が認められる基準については、合理的な再建計画に基づき子会社に対して無利息・低利融資で資金援助をしている場合や債権放棄をするケース、合理的内容の再建計画が作られていることになる。

として、

〈1〉両法人の間に五〇%以上の資本提携がある場合だけに限られず取引関係等があればよいこと、

〈2〉出損金に相当性・合理性があればよい

ことが認めているのである。

(二)ところが原判決では九五条の経費性を判断するにあたり「・・・・・法人上別人格であり、しかも親子会社のように資本提携があったわけでもないから、それぞれの法人の残余財産の清算はそれぞれの資産の範囲内で適正に行われるべきが当然である」とし「親子会社のように資本提携があった」場合だけに限定している。

本件では資本関係においても実質的には密接な関係があった。すなわち、販売会社は主に上告人やその組合員らの出資によるものであったし(原判決も「販売会社の設立時その株主及び取締役には原告の子弟等がなったが、これは主として原告組合員らの事業の承継を考慮したためであった」と認めている)、原判決も「両者間に人的ないしは物的な構成の面で密接な関係を有していることを認め」ているのである。事実、上告人をめぐる地域社会では、上告人と販売会社とは「親子法人」として認識されていた。

このような上告人と販売会社との関係は法人税法九五条を解釈するにあたりいわゆる親子会社の関係にあるものとして取り扱われるべきことは論をまたない。

(三)また子会社の整理に関する援助についても前述したとおり合理性・相当性が存在すればよいのである。

ところが、原判決は本件出損金の相当性を判断せず単に、「今後より大きな損失を蒙る」か否かだけに限っているのである。

しかし、本件の場合においては、前述したとおり原判決が認定した事実の下でも本件出損金は、前述したような上告人及び販売会社設立の目的、上告人と販売会社との関係、販売会社の取引や上告人の唯一の収入源確保の必要性、上告人や販売会社の解散の際の合意などいずれの点からみても上告人、販売会社の企業経営上やむをえない性質のものであり、相当性・合理性を有している。

このように本件出損金のようなものは現行の税務実務において清算過程における税務計算上の損金として一般に扱われているものである。

(仮に原判決によれば別紙資料1、2の通達はそれ自体違法であり、右通達に基づく税務の取扱いは許されないことになる)。

4 とすれば、現在の税務実務の実態と原判決との結論との間は全く異なっているのであり、従って、上告人だけが理由なく現在の実務と異なった取扱いを受けることとなり、違法な課税を課されているというべきである。

上告人に対するこうした差別的扱いは疑いもなく憲法一四条に反しているといわなければならない。

第三、原判決には自己矛盾・判例・経験則違反及び判断の脱ろうが存在している

一、原判決も認めているとおり、上告人と販売会社との間には「人的ないしは物的な構成の面で密接な関係を有することを認めることができる」ことに次のような一連の証拠が存在する。

〈1〉昭和四三年八月に作成された上告人と組合員全員による白紙委任状(甲第一二六号証一乃至五)

〈2〉昭和四八年五月一七日の販売会社の取締役会議事録(甲第一〇号証の一五)

〈3〉昭和四九年三月一三日の上告人理事会議事録(甲第九号証の一三)

〈4〉上告人代表者・清算人の高島長助氏の陳述書(甲第一三二号証)

〈5〉平成元年一二月一日、平成二年五月一一日付吉田昭治証言

〈6〉平成三年四月一二日付高島長助証言

〈7〉平成元年三月六日付加藤高雄証言

〈8〉平成元年五月二六日付橋田理臣証言

〈9〉昭和五五年一月二九日の販売会社の債権者集会(甲第一二七号証の一、二)

〈10〉昭和五五年二月七日、同年二月二八日の上告人理事会での確認(甲第九号証の四三、四四)

これらの各証拠はいずれも上告人と販売会社との関係から上告人が販売会社の債務について責任を負うことを明らかにしているものである。

しかも原判決も前記のとおり「右認定事実によれば、昭和五四年一二月二〇日以降の時点で、原告と販売会社及び原告以外の連帯保証人との間で、原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担するとの内容の合意がなされたと認めることはできる」と認定しているのである。

以上の事実からすれば、原判決は以下のとおり誤っている。

二、原判決はそれ自体矛盾している

原判決は前記のように「昭和五四年一二月二〇日に開催された販売会社の取締役会において、別表一記載の各債務を含む販売会社の債務について連帯保証人となった取締役の一人である吉田昭治から、万が一の時はどうなるのかとの趣旨の質問がなされ、これに対して原告理事長である浅利金十郎は、最初からの約束どおり原告が全責任を負うこと、形式的に保証をした者には迷惑をかけない旨を表明して出席者の了解を得た。

その後、前記二で認定したとおり、原告及び販売会社の各解散がそれぞれ決議され、それに伴う販売会社の債務の整理の方針が検討され、昭和五五年二月七日に開催された原告理事会において、工場敷地を売却してその弁済に充てることを前提として、具体的売却方法、相手方等が協議された。

右認定事実によれば、昭和五四年一二月二〇日以降の時点で、原告と販売会社及び原告以外の連帯保証人との間で、原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担するとの内容の合意がなされたと認めることはできる」としながら、他方その内容は「個人として迷惑をかけないという程度」であるとする。

しかし昭和五四年一二月二〇日の決議(了解)が、原判決のいう「個人として迷惑をかけない程度」の合意であり、何らの義務も発生しないものであるとしたら、「原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担する」こととなることなどあり得ない。

「弁済の責任を負担する」合意の成立を認めること自体、法的義務を認めたことに他ならない。

このように原判決は一方で弁済の法的責任を認めながら、他方では法的責任を否認するという自己矛盾を犯しているのである。

三、原判決には判断の脱ろうが存在する

第一審判決では昭和五五年二月七日の上告人の理事会の決定についての意味について何故か判断を脱落させていた。そこで上告人は一九九三(平成五)年九月一日付準備書面において

第二、原判決の事実の追加について

一、事実の追加

原判決第二の一の2の(10)のあとに次の主張をつけ加える。

少なくとも右いずれかの時点で原告理事会による決定が認められる。仮に右主張が認められないとしても、少なくとも昭和五五年二月七日の原告理事会において、右昭和五四年一二月二〇日の決定が追認されたものである。

と追認の主張を明確にし、かつその後の書面(たとえば一九九四(平成六)年二月一〇日付準備書面第二の五など)においても右追認の主張を再三指摘していた。

ところが原判決はこの点についても全く触れていないのである。

原判決も認めているように、昭和五四年一二月二〇日には「原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担するとの合意」がなされ、昭和五五年一月二八日には右合意に基づき販売会社の債権者会議において「原告の債権者に対する説明が行われ、その中で販売会社の負担については、原告の資産を売却することにより弁済するとの説明がなされ」たうえ、「昭和五五年二月七日原告の理事会においても、販売会社の債務の整理については原告工場敷地建物及びその後に購入した土地等の資産を処分してその弁済に充てることが決定された」のである。

原判決が認めた右事実の経過からすれば、少なくとも昭和五五年二月七日の上告人理事会において「原告が販売会社の債務について弁済の責任を負担」したが故に、その実現のため上告人の資産を処分して「販売会社の債務についての弁済」に充てることを決定したと解する以外にはあり得ない。

昭和五五年二月七日の決議は上告人理事会において販売会社の債務の弁済の責任を負う決定を行ったのであり、右追認が認められれば上告人において弁済を行うべき責任が認められることは明白である。

ところが原判決は右決議がいかなる意味を有するかについての判断をことさら欠落させている。

四、原判決の判断には判例・経験則違反が存在する。

1、昭和五四年一二月二〇日の議事録では

吉田昭治より

「我々は金融機関の保証をさせられているが、それは形式的だということで保証人になったのであり、もし万が一の場合はどうなるのかまた商工中金へ理事会決議録なるものが出ているそうだが我々は関知していないと発言があり」

これに対し浅利金十郎が

「協同組合秋田第一製パンの理事長としての立場より私は理事長として、又、みなさんは理事として聞いてくれ」

「最初からの約束どおり協同組合が全責任を負うのであり、形式的に保証させられた皆さんには決して迷惑はかけないしかけさせられない。商工中金への決議録は借入金の都合上相手の要望によって出しただけである。万が一の場合は組合の資産を処分して債務を弁済する。又、資産の処分価額を上廻るような債務を負うはめになればそれ以前に対処するので、皆さんには決して迷惑はかけないので安心してください」

と発言した。そのうえで

「全員この発言約束事を、再確認して議事を終了した」

と明記されている。

そして右協議の内容は、当時組合員であった高島長助、浅利金十郎、吉田昭治、加賀谷憲男、佐藤太市の全員が確認しているところである。

右議事録からすれば組合員全員により販売会社の債務について上告人が「全責人を負う」旨の決議をしたことは書面上明白である。

ところで判例(たとえば最判昭和三二年一〇月三一日民集一一巻一〇号など)では特定の書証からその記載通りの事実を認めないことが論理則、経験則に反するとしている。

原判決は、議事録が明記している内容に反して、上告人の責任を否定しているのであって右判例及び経験則に反しているといわねばならない。

2、ところで原判決が右全責任を負う旨の合意を否定した事情は上告人と販売会社が別法人であり、全責任を負う合意を認めることは、法人税の濫用というべきものであり、他方販売会社が上告人から何らかの対価の提供もしくは利益提与を受けていないことから寄付にあたることを根拠にしていると思料される。

しかし、たとえば通達九―四―一はそもそも従来の税実務において、両者が別法人ということを理由に寄付金としてきたことの反省から、注意的に示達されたものである。

この点は、税実務において「公知の事実」である。

そこで原判決が行った右判断について検討する。

原判決も認めているとおり販売会社は上告人の設立後、上告人のために設立されその資本も組合員らの出資により設立され、人的にも同一のものである。

従って上告人のためには設立された販売会社の債務はまず上告人が責めを負うべきものと考えられることは取引社会一般にごく当たり前に行われているところである。このことは例えば本件と同様の関係にある法人同士が相互に保証契約を行うとか様々な形で一般的に存在していることからも明らかである。

原判決はこうした取引社会の実態を全く無視している。

このような法的関係は法人格を否定したり、法人格の濫用をおこなっているものではなく、法人がその目的、事業を達するための日常的な態様であり、また、取引先もまた、こうした関係を容認しているのである。

本件においても現に橋田証言、当時上告人を指導していた秋田県中央会の藤田証言、貝田証言も一致して上告人の責任を認めているところである。

原判決はこうした社会の実態を全く無視したうえに、形式的論理に終始しているのである。一度でも社会の倒産事件や任意整理にあたったことがあれば原判決のような理由は根拠のないことが直ちに理解できる。

五、原判決には次のとおり判例違背が存在する

(1)「保証人と債務者、ないし保証人相互間の求償権の有無および範囲は、内部の実質的な法律関係に従って定められるべきものであ」り、内部関係において、負担部分の合意があれば、それに従うべきものである(たとえば注釈民法(11)一一六頁など)。

この点最判昭和四一年一月二八日(裁判集(民事)八二号一九七頁)では「原審が確定した事実関係によれば、本件手形取引契約において、訴外銀行に対する関係ではYが主債務者であり、XとAとは連帯保証人であるが、本件一三〇万円の金員の実際の借用主はAであり、Y、XおよびAの内部関係では、主債務はAであり、Xはその連帯保証人兼担保提供者であるが、Yは単に形式上の主債務者にすぎないというのである。しかして、本訴は、Yから委託を受けて連帯保証人となったXが、Yに対して求償を求めるものであるところ、前記のとおりYが形式上の主債務者にすぎないものである以上、XがYに対し求償権を取得し得ないことは当然の事理といわねばならない」

と判示しており、主債務者と連帯保証人との間でも「形式上の主債務者にすぎない」ものに対しては求償権を否定している。

(2)本件では保証人間の事例であり、かつ議事録(甲第一〇号証の四三)によって理事長であった浅利より高島ら「形式的に保証させられた皆さんには決して迷惑はかけない」と明記され、原判決も「形式的に保証したものには迷惑をかけない旨」が表明され「出席者の了解を得た」と認定している。

右認定事実からすれば「個人として迷惑はかけない」と言うことは連帯保証人となった組合員ら個人に対し控訴人として何ら経済的負担をかけないとする趣旨以外にはない(そうでないとすれば「個人として迷惑はかけない」意味は全く存在しないことになる)。

特に販売会社の債権者との関係においても上告人の資産の範囲内で「対処する」ということは、販売会社の債権者との間においても形式的に保証人となったものには負担をかけないということを意味しているのである。まして上告人が弁済の責任を負担して実行した後、上告人から形式的に保証人になった者に対し求償するなどということは論外といわなければならない。

このように、上告人が形式的な連帯保証人である高島らに対し「求償権を取得し得ないことは当然の事理といわなければならない」のである。

(3)上告人が控訴審になりこの点についての指摘を行ったにもかかわらず何らこの点についての判断すら行わず、第一審の判示を正当とし「右認定判断は左右されないというべきである」としている。

原判決は前記最高裁判決の判断をこれまた欠落させ、かつ、前記判例(最判昭四一年一月二八日)にも違反するものである。

第四、原判決は法九五条の理解を誤っている

一、法九五条は法三七条に定める寄付金の額は、「清算所得の金額の計算上残余財産の価額に算入する。」と定め、また清算業務の遂行上必要と認められるものはこの限りでないとしている。

そこでまず、法三七条における寄附金とは何かが問題となるが、いかなるものが収益となり経費となるかは「公正妥当と認められる会計処理の基準」(法人税法二二条四項)あるいは「公正なる会計慣行」(商法二二条二項)に基づいて決定されるべきものである。

被上告人あるいは原判決は、民法上の贈与が税務上直截に寄附金であるとしている。しかし、無償の行為であっても当該行為の内容や社会的実態から経費と認められるべきものが存在する。例えば「民法上贈与行為であっても経営財務的視野からある支出は交際費等となり、ある支出は広告宣伝費となり、ある支出は福利厚生費となり、ある支出は寄附金となるのである」(甲第一四六号証二頁)。そして、広告宣伝費等のような企業活動上必要なものは寄附金に該当しないのである(法三七条五項かっこ書き)。要は法二二条が予定している経営財務的視野から収益や費用等の概念が決定されなければならないのである。また、実務の指針の一つとして法人税基本通達九―四―一が存在しうるのもそれ故である。

それでは次に、本件のような実質的に親子会社の関係にあり、かつ、清算のために行った債務負担等の行為はどのように解釈されねばならないかが問題となる。

一般に「親会社は子会社の経営上の危機等を救済することについてやむを得ない相当性が存在する場合に、両者間に特段の取り決めがなくても、親会社が子会社のために負担した金員は、当該親会社の義務上の義務的経費として企業会計上も費用に算入されることが広く承認されている。これは現代資本主義社会において親会社が子会社の経営上の危機等を救済することは、当該親会社の社会的責任として認識されているからであ」り、本件の上告人と販売会社との間の関係に妥当するものであるが、「親会社的存在である企業が社会通念上やむを得ない相当性のある場合に、その子会社的存在である本件販売会社のために支出した金員が、社会的責任を負うべき親企業の義務的経費を構成することは右の商法の計算秩序の予定するところであり、かつ、法人税法も当然にそのような商法の計算秩序を前提とするところ」である(甲第一五七号証三及び四頁)。

こうした見解は社会的にも当然のごとく考えられており、かつ、税務実務の上でも確立したものであり、従って、法九五条の解釈も右見解に基づいてなされなければならない。

とすれば、法九五条の下においても本件出損金は、上告人や販売会社の債権者らとの間で形成された業務遂行上の義務的経費であると評されなければならないのである。

こうした実務的処理はすでに再三指摘したとおり裁判所の清算手続においても様々な工夫をして債権者平等の原則を実現するよう図っており(「親子会社の倒産税務に関する若干の考察」(上)(中)(下)判タNO四三三乃至四三五)、またのちに詳述する基本通達九―四―一は法第九五条の解釈の一場面であるが、損失負担金としてその経費性を認めているのである。

二、ところが原判決はこのような上告人と販売会社との関係を全く考慮せず「法律上は、控訴人の販売会社に対する無償供与として法三七条所定の『寄付金』に該当することが明らかである」とする形式的判断によりその経費性を否定している。

また原判決は「控訴人の主張は」「結局、債務負担の側面でのみ販売会社と控訴人とが別法人であることを否定し、その側面では販売会社と控訴人とは実質的に同一人格であるというに等しいものであると解されるが、そのような合意がなされることと、控訴人と別人格である販売会社が設立されることとは全く矛盾することである」ことなどを理由として「第二弁済行為が右控訴人の主張する合意に基づくものであったとしても、寄付金に該当することは明らかである」としている。

しかし、原判決の右判示は社会の実態に対する無知以外の何者でもない。

基本通達九―四―一のような解釈がそもそも存在するのは両法人が別個の法人であるが、密接な関係にあり、かつ企業取引上からの要請もあり、そのような合理的な債務負担である限り、債務の整理過程における経費性を認めているからなのである。

原判決の理解に従うなら基本通達九―四―一などが存在する余地はなく、右通達に基づく税務実務は全て違法と断じられなければならない。

ところが現に本件においても不服審査過程で退職金の支払については経費性を認めているのである。

このような矛盾が存在するのは、原判決が親子会社における経費についての当然の理解と判断を誤った結果によるものである。

第五、基本通達九―四―一の理解の誤りと審理不尽

一、基本通達九―四―一は法九五条の解釈に関して一つの実務指針としてなされたものであるが、

「法人がその子会社等の解散、経営権の譲渡等に伴い当該子会社等のために債務の引受その他の損失の負担をし、又は当該子会社等に対する債権の放棄をした場合においても、その負担又は放棄をしなければ今後より大きな損失を蒙ることになることが社会通念上明らかであると認められるためやむを得ずその負担又は放棄をするに至った等そのことについて相当な理由があると認められるときは、その負担又は放棄をしたことにより生ずる損失の額は、寄附金の額に該当しないものとする。」

と定められている。

そして被上告人は右基本通達について

〈1〉 子会社等の間に密接な関係があること

〈2〉 今後より大きな損失の生ずることを回避するために、やむを得ず行われたものであり、かつ、そのことが社会通念上も妥当なものとして是認されるような事情にあることの要件を充足していなければならないと主張している。

しかし、基本通達九―四―一は一つの実務指針としてなされているものであり、右文言だけにとらわれることなく、社会的実態に即して右通達の解釈適用がなされなければならないのである。

このことは右通達を作成した担当官によって指摘されているところである(甲第一三九号証の二)。

しかも「住専処理」に関して国税庁は右通達について次のように扱っている

「住専とは資本関係が全くない一般行や農協系についても、『融資という住専の経営の根幹にかかわる事業取引がある以上は、住専と“親子関係”にある』(国税庁)と判断し“子会社等”を処理する場合に限られる無税扱いの適用範囲に含めることとした。」

そして、右扱いについても「国税庁が同様の判断を下した例はこれまでにもある」のである(甲第一五四号証)。

また相当性についても金融機関が「住専向け債権の放棄や住専処理機構への低利融資について無税扱い」としているが、右処理の根拠を「専従処理が金融システムの秩序維持につながる合理的な措置」であるとしている(甲第一五三号証)。

要は基本通達九―四―一は両法人間に密接な関係があり、資金援助や放棄等に企業経営上相当性があればよいのである。

被上告人は、「今後より大きな損失の生ずることを回避するためにやむを得ず行われたものであること」かつ「社会通念上も妥当なものであること」を要求しているが、前記通達の趣旨は両法人に一定の関係があること及び資金援助等に相当性・合理性が存在すればよいのであり、「今後より大きな損失の生ずること」は一例にすぎない。「住専処理」に関する国税庁も同様の見解を有しているのである。

以上のことは既に指摘したとおり平成一〇年六月一日付で改正された基本通達九―四―一(別紙資料1、2)をみれば明白である。

なお、上告人が販売会社の債務、損失を負担しなければ、上告人自身の資産について販売会社の債権者らから、法的処分を受け、その販売会社への賃貸資産までを手放さざるを得ないこととなり、上告人の唯一の収入源も奪われ、解散に追いやられることは必至である。従って通達のいう「今後より大きな損失の生ずること」は明白である。

ところが原判決は右通達の解釈については「控訴人が右の負担をしなければ今後より大きな損失を蒙るなどの事情を認められない本件が右通達の予定する場合に該当しないことは明らかである」として相当性について、上告人や販売会社との関係などの諸事情を考慮することなく、その適用を否定したのであって、右通達の解釈適用を誤っている。

二、そこで本件出損金の相当性、合理性が問題となるが

〈1〉 販売会社とは上告人のために設立されたものであり、両者一体となって上告人組合設立目的事業のために事業を行っていたこと

〈2〉 販売会社の債権者らは全員上告人が責任をもつものと考えており、上告人らを指導していた秋田県中央会の担当者も同様であったこと

〈3〉 そうでないとしたら資産を持たない販売会社は取引など不可能であったこと

〈4〉 他方、上告人らの全組合員らもまた同じ考えであり、特に昭和五四年一二月二〇日には全組合員により上告人が販売会社の債務について全責任を負うことは再確認していること

〈5〉 仮に上告人がその責任を逃避した場合においては、販売会社の債権者らから提訴されることなどが予想されたが認められる。

本書面第一で指摘したとおり、原判決においても販売会社は上告人のために設立され、両者は人的・物的に密接な関係にあったこと、上告人や販売会社を解散するにあたり、昭和五四年一二月二〇日に上告人の全組合員の出席の下で浅利金十郎は、最初からの約束どおり上告人が「全責任を負うこと、形式的に保証をした者には迷惑をかけない旨を表明して出席者の了解を得た」うえ、販売会社の債権者に対し、その債権者集会において販売会社の負債については上告人の「資産を売却することにより弁済するとの説明がなされ」たうえ、債権者の了解を得、更に、昭和五五年二月七日の上告人の理事会で上告人の「資産を処分してその弁済に充てることを決定した」ことを認めているのである。

それ故不服審査手続において退職金が経費として認められたのである。右のような事情を考慮すれば前記通達からして、本件出損金は経費に当該するというべきである。

三、原判決には審理不尽がある。

ところで、原判決は右通達について前記のような極めて形式的な判断しか示さなかった。

ところが上告人は右通達に関する国税庁の見解について再三被上告人に釈明を求めかつ、一九九七年一一月一二日は調査嘱託の申立を行った。にもかかわらず原審では右調査嘱託の申立すら却下した。

しかしながら右通達の成立の経過、現在の実務上の実態を明らかにすることによりはじめて、右通達の本旨に従った理解が可能となるのである。

ところが原審はこうした審理を一切拒否し、通達の本旨を理解することなく前記のような形式的判断を行ったのであり、この点につき、審理不尽が存在することは明らかである。

第六、原判決の却下部分について

原判決は上告人の請求を一部却下している。しかし、右部分は第一審が誤った判断を行ったため、判断が欠けていたところである。

従って、一審の判断を欠いたまま原判決の如き判断を行うことは、三審制度に反すると言うべきである。

以上

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